今日は東日本大震災の日、あの日から8年が過ぎた。
テレビや新聞では特集が組まれ毎日震災関連番組が流れるけれど、それが何ともやるせない。
そんなテレビ番組を見るとはなしに見ていると、被害にあわれたおばあちゃんが淡々とその日の事を話していた。
娘は孫を抱いて避難していた、あと少しでこの崖を上ればというところで津波が迫ってきた。
もうすでに崖の上に避難していた人たちの中から赤ちゃんを捨てろ!と声が飛ぶ、赤ちゃんを捨てて登って来い!と。
すると娘は、ダメ!赤ちゃんは捨てられない!そう叫ぶとその声とともに娘と孫は津波にのまれてしまったと。
おばあちゃんはその話をしながら泣いていなかった、何度も何度もこの話をしてきたんだろう。
話は続く。
でもね娘はみつかったの、津波の引いた崖下の泥の中から。
だからきっとその近くに孫もいるだろうと思って周りを掘ったんだけど孫は見つけられなかったの。
私はニュースを見ながら泣けて仕方なかった。
死んでしまった娘さんへなのか、それともまだみつからない孫さんへなのか、それとも二人を亡くしたおばあちゃんへなのか、どうにもしがたい思いが胸に渦巻く。
それなのにおばあちゃんは少しも泣いていない、淡々と話しているのだ。
そして話はまだみつからない孫のことに。
あの日大津波にさらわれた孫はもしかしたどこか遠くの浜に流れ着いて、優しい人に拾われて無事に大きくなったのかもしれないと思うの。
生きていれば孫はもう小学生、新しいランドセルを買ってもらって、きっとどこかの小学校に通っているんだろうと思う。
だからみつからないんだと。
おばあちゃんの家の仏間には等身大に引き延ばされた娘と孫の遺影が飾ってあった。
その娘と孫の顔をなぞるおばあちゃんの震災はまだ終わらない。