「物」にある思い出

台所の食器棚の引出しに長い間使っていない菜切り包丁がある。

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もう柄も取れてしまって使いようが無い。

でも捨てられずにとってある。

もう捨てようかそんな事を考えていたある日、新聞に『包丁研ぎます』の折り込みチラシが入っていた。

「そうだ!ここに持って行けばまた綺麗になるかも。柄の交換もしなくちゃいけないし、いくら位掛かるかまず相談に行ってみよう。」

捨てられずにいた包丁は急にまた引出しから出されることになった。

初めて行ったそのお店は新しい包丁の販売もしていて売っている包丁を見ると修理をするより買った方が良いように思えた。

でも折角だから研ぎ師のオッチャンに古い菜切り包丁を見て貰う。

オッチャンは「この刃物屋さんははもう包丁は作っていないんですよね、良い包丁を作っていたんだけど。」と製造元の会社や商品を知っているようだった、そして菜切り包丁の品定めをしてくれた、「柄も交換して砥ぎ出しをして7,000円ぐらいかな。」という。

う~んちょっと高い、それならそこの新しい包丁を買った方が良いかなと相談してみる。

するとオッチャンはこんな事を言った。

「物には思い出があるからね、新しい物を買うのはすぐだけど思い出は無いから。」と。

 

おとうさんと結婚の話が出たのは二人とも20歳の時、若い若い二人だった。

案の定私の両親は結婚に大反対した。

生活出来るわけはないし、結婚がどんなものだかも分かっていないと。

けれど若い二人はそれを押し切り両親を説得し結婚することにしたのだ。

もう随分昔の事。

そんなある日父が渡したいものがあると言って出してきたのが新品のこの包丁だったのだ。

「大事に使えば一生使えるから。」そんな言葉と一緒に。

反対を押し切り結婚に進む娘、何より心配だったろうし怒ってもいただろう。

贈られた包丁は柳刃と菜切りと出刃と小出刃の4本組だった。

父はどんな気持ちでその包丁を買ってきたんだろうか、一生使えるからねというその言葉の中に添い遂げて欲しいのだからという気持ちがあったのかもしれない。

 

オッチャンは「この包丁をこんなふうに修理すると良いですよ。」と話を続けている。

そして、「この包丁を選んだ人は随分と吟味して選んでますよ。」と言う。

そうなんだ、父は吟味してこの包丁を選んでくれたんだね…。

この包丁をなぜ捨てられなかったのか、忘れていた思い出は胸を熱くした。

 

まるで新品のように砥ぎあがってきた菜切り包丁

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研ぎ代は今年の結婚記念日の私へのプレゼントにした。

 

20年前に逝った父にこの包丁を見せる事は出来ない。

今の私たちを自慢する事も出来ない、けれどきっと喜んでいると思うのだ。

そう思ってまたこの包丁で美味しいご飯を作ろう。

今日から33回目の結婚記念日への1日が始まる。