高速バスの出発所でごった返していた殺気立った人々。
大きな荷物を抱えて我先にとバスを待つ。
あの日の会津は狂っていた。
いいや、福島県中みんなが狂っていた。
もうみんな死んでしまうと思っていた。
遠くへ、もっと遠くへ逃げなければ…
みんな、みんな…怖くて悲しくて。
明日は見えない、明るい明日を考えるなんて出来はしなかった。
下の子と昨日の夜、引越しの話をした。
下の子は春に環境を変える予定なのだ。
あーだこーだと電話で話し、内心お前は甘いのだ、いやいや甘やかしてしまったのは親の私たちなんだなと思ったり。
寝ながら明日引越しのことLINEして教えようとか考えたり。
やっぱり甘いかなと考え直したり。
大変なら大変なりに大人になるんだからと思ったり。
そして気が付いたのだ、あの日からもう4年が過ぎようとしていることに。
あの日、下の子は着のみ着のままで高速バスに揺られて行った。
目指すは新潟。
でもその先はどうなることやら、まるで分らない。
そして出発のバスに乗る時言ったのだ。
「これから先はどうやっておねえちゃんのところに行くか自分で決めなさい。携帯の電池が切れると困るから連絡は要らないよ。」と。
こんな形で下の子を独り立ちさせて悲しかった、おとうさんもきっとそう思っていたに違いない。
けれどここから避難して、これが最良の選択なのだと自分に言い聞かせていた。
今下の子は自分で次の世界へと進もうとしている。
それは避難じゃない。
困難や苦労も自分で望んで進む道なのだ。
あの日を思い出し、それは嬉しいことなのだと考えた。
もちろん今があるのは下の子だけの力じゃない。
姉や出会った友人や会社の方々、助けてもらい育ててもらった。
親が案ずるよりもずっと回りの方々が力になってくれているのだ。
子育てと言う親の仕事はもう終わったのだ。
あの日どさくさに紛れて終了したのだ。
だから「こうすればいいと思うよ。」と言う言葉を飲み込んで心の中だけで応援することにした。
あの日考えられなかったこれからのこと。
見失ってしまった明日は探さなくても目の前に続いていた。
明日は明るい、そして私たちを待ってくれている。